リストカットについて

“リストカットを止めたいのに止められない”、“死にたいわけではないけれど血を見ると落ち着き、止めれない”、とのご相談を多々頂くことがあります。
リストカットというと、自身を傷付けることでもあり、もちろん、やらないにこしたことはないですが。けれど、頭ではわかってはいても、辛くて、どうにもこうにも他の方法が取れない。
どうして、リストカットをするんだろう?ケースにより異なるでしょうし、一つの答えはないのは承知の上ではありますが。その上で、考え至るのは、多くの場合で、自身を傷つけたくないからこそ、良くなりたいからこそ、リストカットという行為をとっているということです。
気持ちが辛く苦しい、どうしようも、どうにもできない、自身の感情もコントロールできない感覚、それは身体の芯から支配されてしまう感覚でもあるでしょう。
それを、和らげるためにどう対処できるのだろうか?自身の感情、身体の芯から覆いかぶさり侵食され抵抗もできない渦中、それを、自身のより表層を傷付けることで緩和しようとする、そういった働きが、リストカットにはあるのではないでしょうか。表層を傷つけることで、中枢の傷を癒そうとする策。そもそもは、中枢を癒そうとする策ですから、中枢そのものを断とうとする“死”、“死にたい”というのと、決して同じではないのです。むしろ、逆だったりもします。
自傷行為自体が自分を傷つけることなのに、矛盾している表現ではありますが、実は、リストカットは、より自分を傷つけないための、苦肉の策としてなされている場合が多いのです。
リストカットは、自身を傷付けることでもあり、もちろん、やらないにこしたことはないという前提ではありますが。リストカットで自身を傷付けて、なお、“リストカットした自分を責めてしまう”、そんな『二重に苦しまないで』と言いたい。「それほど良くなりたい自分が居るんだ」と気が付いて欲しいとも思います。
「リストカットは、いけないことだからやめよう」とだけ思っていても、いつまでもやめられないケースも多いです。それどころか、「いけないことをしている自分」を責め続けてしまい悪循環にさえ、なりえます。
そうではなくて(自己を否定的に捉えるのみではなくて)、
「どうしようもできないんだけど、それでも、何とかしようとしている私が居る」「こんなにも良くなりたい、私が居るんだ」と、気が付けば、
もう、良くなるための、まず一歩は踏み出そうとしていると言えるのではないでしょうか。